最近は「自分のやりたい仕事」にこだわりを持つ若者が多いと聞いています。しかし、企業というものは、人材育成という観点からわざと本人の希望とは異なる職務を与え、知識、経験の幅を出させてその人の視野を広げさせようとするものです。視野が広がればまた新しい興味も湧いてくるもの。そんな私の経験談を少しお話ししてみましょう。
 高分子化学を専攻していた私は、教授の薦めもあって“化学会社”という認識だった横浜ゴムに応募。ゴムという素材の将来性にひかれ、また、会社に自由な風土を感じ、入社を決意しました。
 当初の希望は研究所のエンジニアとして、化学系の基礎研究を行うこと。しかし、実際の配属はタイヤ試験部。確かに研究開発に近い仕事ではあったのですが、求められる知識は力学系や生産技術系が中心で、希望していた職務とはかけ離れたものだったのです。
 配属後は苦労の連続でした。タイヤ試験部とは、簡単にいうとタイヤの「曲がる・止まる」というメカニズムを解明し、より高性能のタイヤ開発につなげることをミッションとする部隊。職場では聞いたことのない言葉が飛び交い、書類やデータも目にしたことのないものばかりでした。
 上司からは毎日のように材料・力学系の宿題を課され、不足していた知識を補うため寮に戻ってからは文献を読みあさる毎日。さらには昼休みを利用した英会話教室へ参加したり、大学の研究室へ通ったりと、まさに地力をつけるための下積み時代を経験したことになります。ところがこの時代が、後々の私のキャリアを作り上げていく基礎となっていきます。
 3年目を迎えた頃から、必死になって詰め込んでいた知識が頭の中で結びつき始めます。「この課題はこうすれば解決するはずだ」「ここをこうしたらこういう性能が出せるのではないか」。理論はさておき、実際のモノづくりをやってみたい。いつしか、「自分のタイヤを創りたい」と考えるようになっていたのです。




 希望が叶ってタイヤ設計部へ異動したのは4年目です。ここでモノづくりの原点を身をもって学ぶことになります。一つが、「自分の目と耳と肌で感じる」こと。もう一つが「疑問に思ったことはどんどん聞く」ということです。
 設計部に異動した当時は、まだまだ電卓も物珍しい時代。今ではCADを使って設計するような図面も、すべて手書き。モノづくりとは、手を動かすこととほぼ同義でした。
 そうした時代背景もあるのでしょう。先輩からは、生産現場に足を運びなさい、テストコースに行って自分で試しなさい、売られている現場を見てきなさいと指導され、それを実践しました。10年も経った頃には、自分の設計した商品は自分で運転して評価するのが当たり前だと考えるようになり、自動車メーカーのテストドライバーと対等に話ができるようにもなっていました。現場、現物を見て、現実的に考えるという三現主義の重要性を、自身の体験として身につけることができたのです。
 もう一つの原点、質問の重要性ですが、これは私が新人時代から心がけてきたことでもあります。「なぜ? なぜ? どうして?」と、何か疑問が湧くたびに質問していました。これは私にとって生きていく上での基本となる考え方でもあります。
 こうした考え方は、実際のモノづくりにだけ当てはまることではありません。フィリピン現地法人の経営を任された際も、モノづくり中心にやってきた私は、財務・経理などの管理系の業務について、とにかく疑問に感じたことはすべて部下に質問をぶつけて一つひとつ解決していきました。分かったふりをしていればその場は切り抜けられるかもしれませんが、後々大きな失敗として跳ね返ってくるものです。この姿勢は横浜ゴムの代表となってからも変わることはありませんし、今後もどんどん質問していくつもりです。
 年月を経た会社のルールや方針は、ともすると社内だけに通用する、時代錯誤な、社会常識からかけ離れたものになってしまう危険性があります。ですから、初配属先で、異動先で、まっさらな状態だからこそ思う疑問をその都度ぶつけて欲しいと思うのです。質問し議論することで、納得して仕事に臨むことができるはずですし、後々、後輩にきちんと説明できるようになるはずです。さらには、不明点や疑問点を積極的に質問する若者が多ければ多いほど、組織は活性化され時代の流れに柔軟に対応できるようになるのです。
 現在でも、モノづくりの伝統は息づいていると思います。ただ、テクノロジーの進歩に伴って、人のモノづくりへの関わり方に大きな変化が起こり、便利になればなるほど本当に大切なものを置き忘れてしまっているのではないかと感じることもあります。IT化に必要以上に傾斜することなく、現場で身をもって体験し、身体で仕事を覚える。また、疑問は残さずため込まずという心意気は、今後も是非受け継いでいって欲しいと強く思います。